Basin Street Blues
ベイズンストリートブルース
この曲は、僕が大学の軽音楽部に入部して ディキシーランドジャズのバンドに加入した頃、演奏してた曲です。 BASSの何たるかも知らない状態で弾いていた頃が懐かしい、そんな思い出の曲です。 歌のバックボーンは下記の通りあまり美しいと思えるものではないですが、でもいい曲です。 エピソードとしては、僕がニューオリンズに言った際、 有名な『プリザベーションホール』というライブハウスに行って、 この曲をどうしても聞きたいのでリクエストをしたら、 通常の曲は1ドルだけど、この曲はトラディショナルなので5ドルだよ、 と言われて5ドル払いました。なんか足元みられたような気分でしたが、 でも聴きたいものが聴けたのでOKとしました。まあ観光地ですから。 以下はネットからの引用です。 Spencer Williamsの作で、トラッドジャズの定番中の定番曲。 ジャックTのボーカルやトロンボーンカデンツァで有名です。 ベイズンストリートは20世紀初頭、ニューオリンズの有名な紅灯街ストーリービルがあったあたりの 通りの名前。 まあ吉原のど真ん中の通りのような感じですかね。 ニューオリンズは港町なので、いわゆる岡場所が発達しておりました。 19世紀の後半には売春は市公認のビジネスとして栄えておりましたが、 あまりの風紀の乱れから、市会議員だったシドニー・ストーリーが売春宿を1区画に限定する法案を 提出し、可決されたことからベイズンストリート一帯がいわゆる青線地帯になりました。 そのおかげで(?)皮肉なことにその地域は「ストーリービル(=ストーリー村)」と呼ばれるようになり ました。 荒くれ男(水夫)と酒と女と音楽、大体これらはセットになっておるもんですが、ストーリービルでも 音楽が盛んでした。 もっとも色気のあるこれらの場所では、ピアノが人気だったようで、ジェリーロールモートンなども 大人気だったそうです。 ルイアームストロングも若い頃にストーリービルでブルースを吹いて、もてまくっていたと自伝にあります。 「マホガニーホールストンプ」なんていう名曲がありますが、マホガニーホールは最高級娼館の名前。 ストーリービルはこのようにしてニューオリンズでジャズが発達するインキュベーターでありましたが、 第一次世界大戦がはじまると海軍の圧力によりストーリービル一帯は閉鎖を余儀なくされ、仕事を失った ミュージシャンたちで腕に覚えのある人たちはシカゴへ向かった、というわけです。 ちょっとジャズの歴史でした。 Won't you come along with me To the Mississippi We'll take a boat to the land of dreams Steam down the river down to New Orleans. The band's there to greet us, Old friends there to meet us. Where the rich and the poor folks all meet, Let me take you down to Basin Street. いっしょに来ないかい ミシシッピ川へ 船に乗って 夢の国へ行くのさ ニューオリンズへくだっていこう バンドがおいらを迎えてくれる 懐かしい友だちにも会える 金持ちから貧乏人まで勢ぞろいの ベイズンストリートへ案内しよう Now Basin street is the street Where the elite Always meet In New Orleans, The Land of Dreams You'll never know how nice it seems or Just how much it really means Glad to be, Yes siree, Where the welcome's free. They're so good to me, That's where I can lose, My Basin Street Blues. さて、ベイズンストリートは 夢の国、ニューオリンズで 一流の奴らが集まってるストリートさ どんなにイカしたところか どんなところなんだか 君には想像もつかないだろうさ いやあ嬉しいさ、嬉しいよだんな! みんなが歓迎してくれる どこいっても歓待さ おいらの憂鬱なんか ベイズンストリートが吹き飛ばしてくれるのさ |